Balboa Jazz Clubでビルエヴァンスは神に近づく。ハードボイルド33

Balboa Jazz Clubでビルエヴァンスは神に近づくRE:Person I knewを弾いた。1979年12月12日スペイン マドリード。ゴヤの名前にちなんだ通り。階段をおりると70ー80名のスペースのBar。それで彼の命はもう1年もない。たぶん個人が偶然録音したモノラルだけれど澄んだクリアーなRE:Person I Knew は心を瑞々しさで奪われれる。完成された演奏。この後は演奏が死に向かって少しずつ荒れて来る。ビルエヴァンスを最初聴き始めた頃ワルツフォーデビーの後はこの頃のエヴァンスが好きになったのはこの頃の絶妙の円熟とマークジョンソンの超絶のベースラインが素晴らしかったから。この後はもう死亡する数ヶ月前のアルバムturn out the star。このライブの後1年後、普通のレストランとして改装されてしまった。そして2曲目。これはなんだろう? そうしてクレジットを良く考えてはっとする。When I fall in love. prtrait inJazzでの演奏とは随分違う。
音が良い。元々個人録音のモノラルと期待していなかった割にと言った方がいい。オススメ。

the Complete Balboa Jazz Club Performances

the Complete Balboa Jazz Club Performances


ハードボイルド33)
ブラジルへ行く便はいつも夜便だ。ニューヨーク、アトランタ、メキシコシティ。どれも夜便。そして到着は午前6:09と言った朝。決まってそうだ。そしてそのままビジネスに出かける。

ブラジル サンパウロのイミグレーションは世界で一番日本人に優しい。

英語で話さなくても、日本語で おはよう と言うとイミグレーションの係官は日本人だとわかると、ニコッとしてくれる。911以降不思議な事が起こった。
アメリカ人の特別ライン。
アメリカで入国時アンチテロの名の下に厳しく問い詰められるのを黙って従うしかなかった。特にビジネスで入るときには、いじめられ乗り継ぎ便に乗れない事もあった。でもブラジルは違う。ブラジル人が不当な扱いを受けたら、アメリカ人がブラジルへ入国する場合も同様の事をする。アメリカ人の特別ラインが設け、アメリカ人だけは入念にチェックする。これには驚きブラジルと言う国に感心し見直した。先進国と自称する日本も実は植民地同様にアメリカはイエスマンである。
ブラジルは日本人にはビザがいるが、ブラジル人がも日本へはビザがいる。すべて平等。
リオのカーニバルの時期、イミグレーションでアメリカ人だけは待たされ入念にチェックされる。でもリオの市長はイミグレーションでカーニバルの踊りで待っているアメリカ人をもてなす。ブラジルは素晴らしい。

そんな光景は今どうなっているのだろう?と思うと、例の彼が待っていた。お待ちしておりました。DeltaのVIPのお客様をお待ち申し上げておりました。メキシコからだからアエロメヒコ航空で来たんだけどと思ったが諦めて彼の後をついてポルシェへ向かった。
しかしポルシェは空港を出ず、プライベートジェット機のタラップの前に停まった。
アマゾンのマナウスへ と彼は入国のスタンプを押しながらそう言った。